オスカー・ワイルドの概要
人物名 | オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド |
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英語名 | Oscar Fingal O’Flahertie Wills Wilde |
生年月日 | 1854年10月16日 |
没年月日 | 1900年11月30日 |
享年 | 46歳 |
国籍 | アイルランド |
職業 | 詩人、作家、劇作家 |
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- 19世紀末のアイルランド出身の詩人、作家、劇作家。
耽美的で退廃的な文学の旗手として知られており、その鋭い才能と風変わりな個性によって独自の文学スタイルを確立しました。
ワイルドは1854年にアイルランドのダブリンで生まれました。
家族は文学に富んでおり、特に彼の母ジェーンは詩人であり、サロンの主でもありました。学生時代に優れた成績を収め、ダブリン大学トリニティ・カレッジに進学。
そこで彼は古典語の最高賞を受賞し、ギリシア語にも優れた才能を発揮しました。卒業後、ワイルドはオックスフォード大学に進学し、評論家ウォルター・ペイターやジョン・ラスキンの講義を受講。
ルネサンスに魅了され、イタリアやギリシャへの旅行を通じてさらに知識を深めました。彼はホイッスラーやバーン=ジョーンズ、アルマ=タデマ、ロセッティなどの芸術家たちと親交を結び、その交友関係は彼の芸術にも影響を与えました。
ワイルドは詩人としても成功し、長詩『ラヴェンナ』を刊行しました。
また、彼は劇作家としても活躍し、社交界の寵児となりました。彼の作品は風変わりで洗練されたテーマやダイアローグ、鮮やかなキャラクター描写で知られています。
しかし、ワイルドの人生は悲劇的な転機を迎えます。
彼は男性との関係が問題視され、男色の罪で告発され、投獄されることとなりました。彼の鋭い風刺や知識人としての賢明な観察力は、多くの人々に感銘を与え、後世の作家や文化人にも影響を与え続けています。
彼の作品は、社会の規範や偽善に対する風刺的な批判、美と個性の追求など、多くのテーマを探求しています。
オスカー・ワイルドの名言一覧
1.
人生には選ばなければならない瞬間がある。自分自身の人生を充分に、完全に、徹底的に生きるか、社会が偽善から要求する偽の、浅薄な、堕落した人生をだらだらと続けるかの、どちらかを。
– オスカー・ワイルド -1140
2.
すべての良い決心には、宿命的な欠陥がある。すなわちいつもそれが早すぎるということだ。
– オスカー・ワイルド -1171
3.
人が恋をする時、それはまず、自己を欺くことによって始まり、また、他人を欺くことによって終わる。
– オスカー・ワイルド -1143
4.
ほとんどの人々は他の人々である。彼らの思考は誰かの意見、彼らの人生は模倣、そして彼らの情熱は引用である。
– オスカー・ワイルド -1169
5.
わずかばかりの誠実さは危険であり、度を越した誠実さは致命的である。
– オスカー・ワイルド -1168
6.
誰でも愛される価値がある。もっとも、「自分こそそうだ」と思い上がっている者は別だ。
– オスカー・ワイルド -1128
7.
軽薄な者だけが自らを知る。
– オスカー・ワイルド -1159
8.
皮肉屋とは、あらゆるものの値段を知っているが、何ものの値打ちも知らない人間のことである。
– オスカー・ワイルド -1118
9.
野心は失敗の最後の避難所だ。
– オスカー・ワイルド -1109
10.
多く持つ者はしばしば貪欲であり、持つことの少ない者は常に人にわかつ。
– オスカー・ワイルド -1130
11.
すべての女性は彼女の母親に似るようになる。それが女の悲劇だ。男は彼の母親の思い通りにならない。それが男の悲劇だ。
– オスカー・ワイルド -1172
12.
老人はあらゆる事を信じる。中年はあらゆる事を疑う。青年はあらゆる事を知っている。
– オスカー・ワイルド -1107
13.
社会は個人に対して極刑を加える権利を持つかのように揮うが、社会は浅薄きわまりない悪徳をもっていて、己の行う事を自覚する力がない。
– オスカー・ワイルド -1149
14.
流行とはひとつの醜さの形であり、とても人を疲れさせるので、三か月ごとに変える必要がある。
– オスカー・ワイルド -1108
15.
楽観主義者はドーナツを見、悲観主義者はドーナツの穴を見る。
– オスカー・ワイルド -1163